本当にやりたいことは無駄の中にある


『今ここが、人生の折り返し地点だとしたら、

これまでの人生は、どんな人生だった?

これからの半分は、どんな生き方をしていきたい?』

という問いがあり。



私の場合は、

「これまでの人生は、

やりたいこと、1割。9割は、自分以外の何かに合わせて、頑張って、苦しむことが美しいと信じて生きた33年。」


そして、これからの人生は、真っ先に出てきたのが、

「まずはグレたい」でした。


グレたいってなんだ?

と掘り下げてみたところ、

グレたい→周りの人に幻滅される→やっと人に認められることを諦めて、本当に自分がしたいことを選択していける

という想いがあったようで。


要は、

やりたいことを、人にも、自分にも、否定されることなくやりたい、ということでした。


で、検証してみたら、今、私のやることを否定してくる“周囲の人”は、いませんでした。

自分だけが、課題でした。


どうしても、好きなことをやろうとすると、

「時間がもったいないから」「少しならいいけど」

「どうせやるなら、仕事に関わることにしないと」

などと、自分の囁きが聞こえてきます。


ということで、

“グレようプロジェクト!”〜時間を無駄にしてみよう〜

を、昨日から始めました。


①一応、2時間、と時間を決めて、無駄に使ってみる。

②そして、無駄にできたら、「良くやった!」と自分を褒める。(無駄に使うと、つい、罪悪感を、持ってしまうので、褒めるもルールにしました)



タピオカを買いに行ってみたり、

マンガを、読んだり、図書館に行ったり、

裁縫したいなー、とか、

好きだったアーティストの、YouTubeを観ながら歌ったりしました。



気づいたのが、

中学生のときと同じことしてる!!!!です。

学生時代に、罪悪感無くやりたかったことを、

最高の気持ちでやり直す、青春取り戻す感じです。



私たちは、小さい子供の頃は、

セーラームーンになりたい、とか、仮面ライダーになりたいとか、

制限なく、自分のやりたいことを描けます。


でも、いつしか、「こんなこと無理」「こんなこと恥ずかしい」と、感じた感情、夢を描くことを押さえ付けていくうちに、すっかり本当の願いを忘れてしまいます。


そして、制限とっていいよ!と言われても、何が制限だか分からなくなってしまうのです。



私もまさにその状態で。


しかも、過去に禁止されていたことは、今でも罪悪感が消えなくて、正常な、「やりたい」「やりたくない」の判断が働いていませんでした。


で、これから抜けるために、

「やりたいことを、ただ、やる」というのが、とても大切で。


私自身、制限かけている自覚もないし、好きなことをやったからといって、制限が取れるとも思っていませんでした。


でも、実際に、本当にやりたいことをやって、喜びを味わっているうちに、、、



思い出しだんです。

3歳くらいまで、すごく人生が楽しかったこと。


生まれてから数年は、ずっと、「なんてこの世界は楽しいんだ」と、ワクワク、希望を持って生きていたことを。


年齢が上がるうちに、制限が加えられて、「あれ?なんかおかしい・・・」と思いながら、

ずっと、生きてきたこと。


「あれ?」という気持ちは、いつしか「喜びはこんなもん」「これが幸せってやつ」とう風に、世の中の常識が、私を納得させてくれました。そして、

「あれ?」と思っていたことすら、忘れて、それなりに幸せに生きてきました。



この、何かを落としてきた感覚。



それが、3歳頃に味わっていた、「この世界は楽しい」という気持ちでした。

その楽しさが、この世界にはあるはず、と、潜在意識の中で、ずっと思ってきた。

ずっと、ずっと、何かを求めていた気はしていたけど、実際にそれが何なのかは見えていませんでした。


だから、「頑張ること」「人生の目標を見つける」「今全力で生きれるものを見つける」という探し方を必死にしてきました。


でも、あの最高だった幸せな気持ちをもう一度味わうことが、私が探していたものだった、ということを、

昨日、思い出しました。



思い出した時は、気づきませんでしたが、

毎日、楽しいこと、制限を無くして本当にやりたいことを実践しているうちに、

締め付けられた心が緩んで、本当の喜び、心の深いところにある喜びに触れることができたんだと思います。

対話の場が当たり前の世の中に

ライフコーチ 加藤佳奈子のホームページ

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