ショックを受けることは思いやりがないこと

よく、ショックを受けることがあります。


傷ついたなー、と思うこともあります。



傷つくと、相手に対して、二度とそういう対応をするのは、やめようって思って、用心深く接したりするんですが。



私は、そういうことは、自然にやっていたし、
相手と合わない、とか、
私は傷つきやすいから、その人に近づかないようにしよう、という対策は、正しい選択のように感じていました。


でも、

むしろ、私がショックを受けることは、
相手のせいではなく、

相手をきっかけに、私が、私の責任と選択で、ショックを受けている。


しかも、
ショックを受けることは、
相手に対する思いやりが、欠けている行動なのだ、と、
最近感じることがありました。



私は、
相手のせいにすることで、責任逃れ、というか、
ショックを受けて、自分は悲しいけど、
それでも、
自分に落ち度があるんだ、と思うよりも、

相手が怖い、
悲しい、
相手が悪い。
私は悲劇のヒロインで…


とやっている方が、断然、楽。


自分に落ち度があったとして、どうやって向き合ったらいいか、
全然分からないし、


そっちの道は絶対に選べない。



だから
悲劇のヒロインの道を選ぶ。



そんな風に、
自分都合で、ショックを受けていたのかもしれません。


そして、
相手にとってみたら、
私がショックを受けることを、本気で喜ぶのか?
という視点で見ると、


もし本当に傷つけたかったんだとしても、

やっぱり本心ではそんなこと思ってないと思う。


やっぱり、
人を傷つけることは、誰でも辛いと思う。



私自身も、
親に冷たい態度を、とりながら、
すごく悲しい、と思うことがありました。



だから、
どんな悪人も、
傷つけたい、と言ってる人でさえ、
やっぱり
人を傷つけることは、心がいたんでると思う。



だから、

こっちが、勝手にショックを受けることは、
相手を逆に傷つけるかもしれないことで、


相手に対する思いやりが足りないんじゃないか?



そんな風に感じました。



じゃあ当の私はどうなの?という話ですが、


ずっと、傷つくとか、ショック受けることが習慣のように、染み付いているんですが、



誰のためにもなってないこれ、

もう、やめようと思います。



やめようと思ってやめられるのか?

それでも、やめようと思って。


最近、
おやつ全く食べない生活して、


絶対無理と思ってたけど、難なく、楽しくできてて、


おやつの話とは違うかもだけど、


決めたらできると思うので。


これまで、決めずにウダウダタイムを過ごしてましたが、


もう、そういうの、終わりにしようとおもいます。




毎日いろいろあるけど^_^
やります^_^




#ライフコーチ
加東かな子


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